すろうにん ~SlowMan~
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気まぐれ管理人Blog
2018年
8月
12日
日
ラウンドアップによる発ガン訴訟の賠償判決について
グリホサート系除草剤で賠償判決が言い渡された事件。
http://www.afpbb.com/articles/-/3185756?cx_part=rank
判決の根拠は、IARCのランク付けによるものなのですが、IARCのランク付けの仕方は世界的に疑問視されています。
また、欧州の発ガンリスク評価機関EFSAでは、グリホサート系除草剤の発ガンリスクは低いと結論付けており、【グリホサートの潜在的な発がん性について分類することは、科学的根拠によって妥当性を裏付けられていない】とまで言いはなっています。
http://www.fsc.go.jp/fsciis/foodSafetyMaterial/show/syu04370190149
なお、EFSAのこのリスク評価(ピアレビュー)は、IARCのリスク評価の所見を受けて行われたものであり、『IARCのリスク評価よりも後に、IARCのグリホサートに対する2A評価根拠として提示された資料に欠落する知見をもってEFSAにより再評価された』ものです。
果たして、これによってグリホサート系除草剤に対する発ガン訴訟は増えるのでしょうか?
この訴訟による賠償判決は、たまたま上手くいっただけのような気がしてなりません。
国際機関であるIARCのランク付けは、世界の研究機関や学会から疑問の声が挙がっていますし、事実、ドイツはIARCのグリホサートに対するランク付けに、『根拠が足りない』と不快感を示しています。
IARCが、グリホサートに対するリスク評価根拠の審議対象として精査した論文のリストの中に、いわく付きの結論先行で論文を書くことで有名なセラリーニ教授の論文(学会では撤回済み)を挙げたことも、グリホサートに対するリスク評価の正当性に疑問を感じざるを得ません。
そもそも、例え評価審議時点で不採用にしたとしても、学会でボツにされた論文を審議対象に加えることが既に大問題です。IARCには評価根拠を科学的に審議する力が足りないことを、IARC自身が証明しているようなものなのですから。
2017年
3月
21日
火
EvernoteのノートをJimdoブログに表示させる方法
Evernoteってすこぶる便利ですよね!!
農作業の日誌を取るのにピッタリ。手放せません。
今までJIMDOのアンドロイドアプリで日誌を取ってましたが、あれ時々バグるんですよね。。。自分のスマホはタフネススマホなので、どちらかというとロースペックだから動作も重いし、、、Evernoteで編集したほうが楽だけど、作業日誌はBlogに載せたいし、、、
そういうわけで、何とかしてEvernoteのノートをJIMDOのブログに表示できないか挑戦してみました。
調べたところ、はてなブログやライブドアブログなんかは、デフォルトでEvernoteとの連携をサポートしているらしく、、、
そういう連携がJIMDOには一切ないので、別の手段で挑戦を試みました。
今回注目したのは、「インラインフレーム」というHTMLタグです。
「<iframe src="URL" width="" height="" name=""><iframe>」
というタグで、単一ページ内に、srcで指定した特定のURLのサイトを表示できるタグ。
これが使えないだろうかと。
まず、Evernoteから、Blog記事にしたいノートの公開URLを取得しました。2017年3月21日作成のノートを選択。
2017年
3月
21日
火
2017年3月21日
2017年
2月
16日
木
2月16日(木)
本日は、朝から昨日のトマト苗の移植の続きをやっていました。
今年は、可能な範囲で作業のマニュアル化をするのが目標。
そのため、栽培用ベッドの両端にメジャーを伸ばして、株間の管理もしています。
親父は「そんなもん感覚でやったほうが早い」というけれど、これから先、親父も引退して今のパートさんも退職し、新しく人を雇わなければいけないときになって、感覚でやってたから見て覚えろというのではあまりに効率が悪いし、時間も金も無駄になるのは自明の理。
勝手が分かってる本人が一人でやっていくのなら、100%の仕事になるのかもしれないが、それよりも、だれに教えても70~80%程度の達成率で仕事ができるようにマニュアル化したほうが、全体的な効率や生産性が向上する。
今日は芋の弦の栽培ベッドへ種イモを伏せておいたので、そこへトンネル掛けもしました。この栽培ベッドの土は、製材所から引き取ってきたチップともみ殻、野菜くず、米ぬかを発酵させたもの。
二層構造になっていて、毎年1月に新しくチップともみ殻、米ぬかを入れて、その上から前年の土をかけて発酵させます。二層構造の下の層が今年新しく発酵させる層、上の層が発行が終わって完全に土になった層。
下の層の発酵熱で、上の層に埋めた種イモの発芽を促す仕組みです。
芋の弦苗の時期が終わったら、葛芋になった種芋を上の層にすきこんで再度発酵させます。この土が、翌年の夏野菜の苗の育苗用土となるのです。
当農園では、農園内でそのような資材を無駄なく使う流れができています。
2016年
6月
01日
水
9条は日本人が発案した(説がある)が、その人は集団的自衛権を認めていた。
米大統領選の共和党候補者トランプ氏が公約で、日本の核保有を容認する姿勢であると報じられている。
イギリスやフランスみたいに海外に習ってもいいんじゃないかっていう意見もあり、理解はできる。
日本はアメリカの核の傘による抑止力の下にあるという現実の下では、非核三原則も事実上、体裁でしかないからだ。
持っていないように見えて、実は隠し持っているのが、今の日本なのだから。
結局、「最終的にアメリカが守ってくれるからいいや」という思考に完結している今、どうあってもアメリカへの基地提供は続けなければ日本の防衛策は手薄になる。その場しのぎの防衛のみで報復措置を取ることが出来ないというのは、侵略に対する抑止力としては絶対的に弱い。
ただし、実際に日本が核を持つというのは非現実的だろう。世界唯一の原爆投下された国として世界平和と核廃絶を叫んでいくために、自国で核兵器を保有しないことは、メッセージとして非常に重要だからだ。これを崩すことは、国際的な日本の立場を根底から揺るがしかねないし、持つべきではない。これについては現状維持の方が良い。
日本は今まで、抑止力の重要な部分をアメリカに頼ることで、「間接的に」解決し、「自国ではそれを保有していないから」というスタンスで、憲法とのつじつまを無理やり合わせてきた。
その現実下で生きているにも関わらず、、、今まで「憲法を守っている」という体裁を保っているだけだったという現状認識もせず、「憲法守れ」と叫んでばかりいるのは、もはや愚でしかない。
だが、アメリカに頼るのではなく、最後の最後は自国だけで自国を守るという結論に達してしまうのであれば、現実的に軍国化は避けられない。永世中立国のスイスと同様、徴兵制も復活する懸念がある。反安保の現実的対応策として、こちらを選択するのなら、反安保派の主張もある程度は筋が通っているが、そんな主張を是とする反安保派の人を見たことがないのは残念な所だ。
9条提唱者とされる説がある幣原喜重郎も、平野三郎の手記にあるように、集団的自衛権は世界平和のために必要であるという認識でいることが示されている。一切左翼主義者の間で、このような幣原氏の考え方の深い部分について触れられることはなく、憲法9条を発案したのは日本人だという話にただただ終始し、彼らは未だに9条の(過剰な)美化に勤め続けている。
(以下平野三郎氏記より抜粋 平野三郎の「しかし日本だけが(戦争を)やめても仕様がないのではありませんか。」との指摘に対する返答)
「世界中がやめなければ,ほんとうの平和は実現できない。しかし実際問題として世界中が武器を持たないという真空状態を考えることはできない。それについては僕の考えを少し話さなければならないが、僕は世界は結局一つにならなければならないと思う。つまり世界政府だ。(中略)何故なら、世界政府とまでは行かなくとも、少くも各国の交戦権を制限し得る集中した武力がなければ世界の平和は保たれないからである。凡そ人間と人間、国家と国家の間の紛争は最後は腕づくで解決する外はないのだから、どうしても武力は必要である。しかしその武力は一個に統一されなければならない。(中略)すなわち戦争をなくするための基本的条件は武力の統一であって、例えば或る協定の下で軍縮が達成され、その協定を有効ならしむるために必要な国々か進んで且つ誠意をもってそれに参加している状態、この条件の下で各国の軍備が国内治安を保つに必要な警察力の程度にまで縮小され、国際的に管理された武力が存在し、それに反対して結束するかもしれない如何なる武力の組み合せよりも強力である、というような世界である。」
日本が集団的自衛権を認めるということは、世界平和のためのリーダーシップを取ろうとした幣原氏の考え方に即するものなのだ。
国連が存在し、国連憲章が集団的自衛権を普遍的権利として認め、各国がそれに準じ、各々に軍を持ちながらも国連軍として活動することが増えている現状は、当時の幣原氏が先見の明を持っていたことを示すとともに、残念ながら自身の発案した9条が、世界平和に対してリーダーシップを示すはずの自国の首を絞めているという皮肉も孕むものとなってしまった。
↓幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について ー平野三郎氏記―↓
http://www.benricho.org/kenpou/shidehara-9jyou.html
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160601-00508854-shincho-soci&p=1
2016年
5月
25日
水
5月25日(水)
15日以降は、枝豆の苗を植え付けたり、枝豆の種を蒔いたり、枝豆の畑の中耕培土をしたり、トウモロコシの畑の中耕培土をしたり、スイカやオクラのトンネルを外したり、サツマイモの畝を作ったり、田んぼの畦を直したり、いろいろしてました。
今は田植えシーズン真っ只中。
明後日が雨なので、それまでに出来ることを出来るだけやります。
昨日は、親父が、田植えを頼まれてる飯田さんの田んぼ、久保田さんの田んぼ、古屋さんの田んぼを田植え。
その間、自分は、残る自家田一カ所の片付けと肥料散布、耕耘をしていました。
2016年
5月
08日
日
5月8日(日)
今日は、午前中、田圃の畦の草刈りに追われていました。
午後から休みだったので、作業場の片付け。。。
畑は徐々に夏に向かっています。
トマトの植え付けも4月の21,22日で終わり、ナスやオクラも23日、24日、キュウリも25日、26日で、カボチャやスイカ、ズッキーニは27日に、それぞれ植え付けが終わりました。
その間、時間を見つけては枝豆を植えたり、落花生を植えたり、生姜を植えたり。。。
最近農業記録をonenoteで取ってるので、なかなかブログに書き出すのが億劫になっております。まずい。非常にまずい。笑
ちゃんと書きます。
2016年
3月
29日
火
戦争の作り方
アニメ化された戦争のつくりかたという絵本について、制作陣が以下のようなコメントを出しています。
「憲法で戦争を放棄すると決めた国、日本。大きな犠牲のもとに築かれたこの平和な70年という遺産を、次の世代にきちんと手渡しできるかは、私たちひとりひとりが一歩を踏み出せるかどうかにゆだねられているのです。」
ここに大きな誤解があります。歴史的に見ても、政治的に見ても、9条は日本自身が戦争をしないという意志を持って制定されたものではなく、GHQの意志によって半ば強制的に交戦権および自衛権を放棄させられたのであることは記録からも明白です。
天皇制を維持するため、苦汁を飲んでの決断であったということです。
その後、解釈変更を辿り、事実上の軍隊である自衛隊が生まれました。自衛のための戦争を放棄するべきではないという考えからです。
集団的自衛権が自衛の範囲を超えるというのは、他国の防衛に手を貸す可能性が生まれたということ自体ではそうかもしれません。しかし、ここまで国際同盟が複雑化し、国同士の結びつきが強まっている中、個別的自衛権のみで対処している日本の時代遅れ感は否めません。
平和というものを、一国単位で考えるような時代は、既に終わっているのです。
「わたしたちはそれぞれにいろんな立場があります。でも、どんなに政治的な議論をしても、それぞれの解釈を持ってしても、「戦争をしてはならない」という想いだけは、誰もが疑いなくイエス!と言えるものであると思っています。」
これについては、正しくは「侵略戦争をしてはならない」という言い方をすべきでしょう。「いかなる場合でも戦争をしてはならない」という考え方は、自衛隊を認めている以上は成り立たないのです。最悪日本が侵略されたときには、否が応でも応戦しなければならないのですから。
この映画は、まるで政府が戦争したがりのように描かれていますが、ストーリーとして余りに恣意的です。「先の大戦での敗戦国が、実は戦争したがりで、一時は戦争を放棄したものの、侵略戦争をするためにこのような道を辿った」という非現実的なシナリオを、今の日本に、見た目上手く重ねただけに過ぎません。
集団的自衛権に対する議論は、日本自身が戦争に持ち込もうとする流れではないという事だけは、どの人であっても必ず理解していなければなりません。
そもそもこんなに加熱するような問題ではないのに、ここまで集団的自衛権に対する議論が加熱したのは、ひとえに、護憲派、保守派の方々の多くが、「9条が成立するまでの過程」に対する大きな誤解をしているからに他なりません。
そして、「集団的自衛権を認める」と言うことは、イコール「政府が戦争をしたがっている」ということにはなり得ません。
国民が過剰に解釈して不安に陥って混乱し、不安イコール何が何でも反対というパニック状態になった結果が野党に利用され、あの日の国会に現れているのです。
http://lite.blogos.com/article/85890/?axis=&p=2
2015年
11月
20日
金
11月20日(金)
ミックスリーフ 5袋分収穫
サニーレタス 15袋分収穫
ほうれん草 20袋収穫
小松菜 15袋収穫
水菜 20袋分収穫
大根 13本収穫
カブ 8束分収穫
スイスチャード 10袋分収穫
全体的に虫が多い
2015年
11月
19日
木
11月19日(木)
本日は、商工会議所の誘いを頂き、『富士山・東北海道広域ビジネスマッチング「食&農」こだわりの逸品展示会2015』に出展をしてきました。
知り合いの方も多く出展されており、挨拶に伺わせていただいたり、わざわざお越し頂いたり、出会いも多かったり。
とても収穫の多い1日となりました。
野菜も販売させていただきましたが、お陰様で全て売り切ることが出来、ありがたい限りです。
ただ、今日はあくまでも緑米がメインだったので、商談も緑米中心に行っていました。
その中で取引先の方に言われたのは、『緑米は色が全てなのだから、もっと色をしっかり出せるように頑張ってほしい』ということ。
そんなこともあって、家に帰ってこんな論文を読んで勉強してます。
けども。
緑米は、果たしてその価値は色だけなのでしょうか。
色がそこそこというのは、登熟歩合が高く、『もち米としては』最高の品質である緑米ということです。
緑米は、その品種自体が最高品質のもち米であると方々から太鼓判を押されるほどのお米。
それを、まるで雑穀の一つみたいな扱いで、五穀米やら雑穀米やらで出すときに色がないと商品にならないみたいな言い方はどうかな、と思いました。
修善寺で上手く色を出す人がいる、とその取引先の方は仰ってましたが、ただ色だけでその価値を図るなら、売り方は雑穀米程度しかないです。
色だけで緑米の価値を図るのが米のプロだとは思えません。
色にこだわって、結局雑穀米で売る程度のことしかできないのであれば、はっきり言って緑米を作る価値はありません。
色を残すために米としての品質をないがしろにし、収量が減ったとしても早刈りし、色を残すために高いエージレスパックを使い、保存にも気を使い、そんなことをしてコストを上げておきながら、作るのはあり合わせの雑穀米。
しかもバカみたいに高い値段。
それって本当にお客様が求めるものなのでしょうか。
緑米の本当の価値は、そこではないと思う。
だからこそ、野菜食堂のように味で選んで下さる所もあるし、うちの緑米を選んで下さるお客様もいる。
私は緑米のそういうところを大事にしたいのです。
もちろん、色を出して餅としての品質も維持できればそれが一番いい。
色を求める取引先さんの言うことも分かります。
なので、こういう論文を読んだり、保存法を工夫したり、そういう努力は今後力を入れていきたいと思います。
ただし。緑米の価値は、絶対に色だけではありません。
2015年
11月
13日
金
11月13日(金)
今日は朝から地元小学校の食育活動で刈りとりした稲の脱穀をしました。
しました、と言っても、脱穀に行ったのは親父とパートさんの2人で、俺はタマネギの苗やら野菜の収穫に追われてあんまり参加できなかったのですが。。。
やっと、今年も稲刈りのシーズンが終わりつつあります。
毎年このシーズンは、記録が疎かになってしまいます。。。悪い癖だ( ・_・;)
特に今年は、月のイベント数が多くて、たまの休日もイベントに裂いていたので、あんまり休めなかったです。
今日は脱穀が終わってから、乾燥機に入れて乾燥が終わるまでの間、一週間ほど前から始めているタマネギ苗の植え付けの続きをしました。
全体で15ケタ、1ケタ700本くらいなので、10500本くらい植えた計算になります。
今年の初めに収穫したタマネギは、腐敗病に犯されて保存性が悪かったので、今年は防除をちゃんとやって質の高いタマネギを作らなければ。
去年のケタづくりは、機械の入れ方を間違えてマルチがすっ飛んでしまうほどギリギリの幅で作ってしまったので、今年はそれをふまえて、少し余裕をもって畝たてをしました。
機械を新しくしたので、畝たてがとても楽です。
爪の付け方を工夫して、ビニールを押さえる余裕ができるように畝たてをする事ができました。
これでなんとか1月まで保ってくれるといいんですが。
タマネギの反対側に植えたほうれん草も、雨が降ったおかげで無事発芽したので、病気にならないようにケアしないと。
稲刈りのシーズンでなかなか見る機会のなかったブロッコリーやキャベツの畑の様子も気になります。。。
2015年
11月
10日
火
この国の抱える矛盾。
この記事の中には矛盾が存在する。
自衛隊を軍事組織であると認識し、かつ安保法案が憲法違反であるという持論を展開しておきながら、自衛隊という軍事組織が存在すること自体が持つ憲法への違法性を無視している。
自身の考え方に都合のいいように書かれた記事であると見られてもおかしくはない。
軍事組織が存在すること自体、明確な憲法違反。
そのような、軍事組織を持ちながら、国単一での仮初めの平和を貪りながら、『従属だ戦争まっしぐらだ』と批判することは、現実逃避この上ない机上の空論。
そもそも、米国の従属国であるという批判をしても、今後30年、日本がそこから抜け出せる未来は存在しない。
自分の国だけ平和ならそれでいいという考え方は、もう古い。
仮初めの平和にどっぷり浸かった国の人間が、いくら議論で世界を説得しようとしても白い目をされるだけ。ちゃんと態度と実行力で示さなければ、世界平和というグリーンへのフェアウェイに乗ることは到底無理。
今の日本は、完全に虎の威をかる狐状態。
世界の均衡は軍事力で保たれている割が多分にあるということを、日本人は忘れがちだ。
戦争をするための軍事力だという誤解が多いが、間違ってはならないのは、刃は傷つけるためではなく、守るために持たねばならないということだ。
刃を持たないという選択肢は、国家間のスケールで考える中では存在しない。
世界は、国家というマフィアの集まりだ。
そんな奴らだらけの中に、何も持たない奴が入っていってモノを言えるかどうか。
現実的に考えて想像すればすぐわかる。世界はお花畑ではない。
SEALDsもそうだが、日本が世界に向けて発したアピールを、国内レベルで民主主義だ何だと騒いでる時点で的外れだ。この問題は、世界スケールの視点を持ってこそ、初めて同じ議論の机に座れるのだ。
使い方を誤らないよう、国民が監視する必要はあるが、刃を向けてきた相手に対して、仲間を守るために立ち向かえないようなら、それはもう国家ではない。
もう、一国に対して一国が刃を向けるような戦争が起こるような時代じゃない。
戦争も時代を経てその体裁を変え、ISに代表されるように、一組織又は一国対世界という様相が基本的だ。
戦争になったら真っ先に他国へ逃げようとかいう反安保論者もいるけれど、その他国は例外なく集団的自衛権を行使できるようになっているのだ。
このような矛盾、異常性を戦後70年間抱えてきた国であるという事実は、全国民が共通して背負わなければならないことである。
2015年
8月
04日
火
8月4日(火)
写真撮るの忘れたので文章のみの更新です(^^;)
今日はニンジンを蒔いておりました。
55cm間隔で溝を切り、雨が降らないので近くの掘りからポンプで水を汲み上げて水やりをしながら、ニンジンの種をパラパラと。
ニンジンの種は凄く小さいので、覆土にも注意が必要です。
基本的に、覆土の厚さは種子の3倍なのですが、ニンジンだとその加減が難しい。。。サラサラ土をかけるくらいがちょうど良い。
さらにその上から、乾燥と雑草の発生を防ぐために籾殻をかけて、やっと完了です。
今後一週間以上は雨がなさそうなので、3日に一度の割合で水やりに来なければなりません。
最近は暑さに拍車がかかった感じで、首もとの保冷剤が欠かせません。
熱中症に気をつけなければ、、、
ニンジンの種まきが終わった後は、秋トマトの手入れをしました。
植え付けた後、時間無くてほっといたら、脇芽がボーボーになってしまっていたので、このままでは実が生らなくなってしまいます。。。これからは、なんとか時間作って手入れしなければ。
とりあえず、夏トマトの量がガクッと減っているので、明日は収穫前に秋トマトの手入れをしようと思います。
2015年
7月
27日
月
無題
私が安保法案に反対する理由-堀有伸http://m.huffpost.com/jp/entry/7876094?ncid=fcbklnkjphpmg00000001
初めてマトモな反対意見を見ることが出来た。
賛成派の自分が見ても、共感できる点が多々ある。
だが、それで自分の賛成という意志が揺らぐかと言えば、そういうわけではない。
なぜなら、この著者も「現時点では」と含みを持たせているように、いずれ必ず必要になる議論だからだ。
戦争という刺激的なワードに翻弄されている(的外れな)反対派が多いように、ある意味、戦後初めて、日本国民は「対外自衛」というものに接して、確かに混乱している。
しかし、著者のいうとおり、そこから先に進んでいない。
テレビ番組のコメンテーターですら、政府が説明責任を果たそうとすればするほど、反対派は反発するだろうと言っているとおり、そもそも反対派には「積極的に理解しようとする」視点が皆無である。共感はしなくていい。ただ理解は必要なのだ。相手と同じ土俵で話をするためには、理解は不可欠だ。
その点において、このブログ著者は賛成派からみても理解をしており、素晴らしいと思うのだ。
話が逸れた。
ここまで政府が説明責任を果たそうとしているのに、話は一向に重要な自衛についての方向に進む気配を見せない。反対派は総じて戦争反対!という的外れな批判を繰り返している。
いずれにせよ必ず必要になる議論について、こんな反応しか示せないのに、著者のように「現時点では反対」と先延ばしに先延ばし、今後この議論が切羽詰まった時に再度発生した時には、こんなデモもやっている余裕さえ無いかもしれない。
そんなときに、税金を使って会期延長して、理解しようともしない人々の理解を取り付けようとし、違憲だ合憲だの議論を長々としている余裕など、皆無かもしれないのだ。
少なくとも、議論は平和で余裕のある今のうちにやっておかないと後悔する。
そもそも今の反対派は、『人死に』という短期的な部分にのみ注目し、『国の存亡』という大々的、長期的な視点で見据えることが出来ていない。
国が長期的に生き残っていくためには何が必要かを考えなければならないのに、短絡的な視点でしか捉えられないのであれば、そんな人にそもそも集団的自衛権を理解しろと言うのが無理である。
そんなことも認識できていない点で、反対派は本当に平和ぼけしていると思う。
日本は平和バカでなければならないのだ。
9条を盾にして、死にたくない殺したくないと手前勝手で一人称なご都合主義を世界に向けて披露しているようでは、いつまでたっても日本は半人前である。
平和ぼけというのは、平和にボケてしまったことをいう。まさに今がそうだ。
しかし、平和バカは違う。筋を通して自分の意見を訴えられるのが本当の真っ直ぐなバカだからだ。
考えても見れば単純なことだ。周りと対等になってこそ、やっと意見を通すことが出来るのに、『集団的自衛権を認めたことで、やっとマトモな国になった』と各国に言われるほどの国が、押しつけ条文を盾に平和だ何だと訴えたところで何の意見が通るだろうか。
憲法前文ですら、『国際的平和』を訴えているのに、今の反対派が訴えているのは、所詮自分たちが良ければ他はどうでもいいという仮初めの一国平和主義である。
世界はそんな反対派の訴えの裏に潜む本質など見抜いているから、集団的自衛権が通って『日本がやっとまともになった』などというのだ。
世界に向けて、筋を通して平和を訴え続けるために、安保法制は必要なのだ。
今の反対派の、9条を盾にした平和というのは、世界的に見て筋が通っていない。
そもそもが、戦後の日本がアメリカに都合のいい従属国になるように押し付けられた条文だからだ。
私は解釈を変更することが、アメリカの従属国化を強めるという反対派の意見は理解はするが、共感はしない。
考え方が異なる。
9条を盾にアメリカの言い分を断っていたという反対派の意見はちょっと捉え方が間違っている(「9条があるから『行かない(能動的拒否)』のではなく、「アメリカが押し付けた9条があるせいで『行けない(受動的拒否)』」という言い訳を使って断っていた)し、集団的自衛権を日本が持つことで、アメリカの要請を断るカードも持てるようになるからだ。
違憲判断のわだかまりを残したまま安保法案が通った、政権任期の切れる一年後の選挙では、自民党は晴れて改憲を呼びかけられるようになるだろう。
その時に、今度は改憲が主たる争点の一つとなった選挙となるだろう。
この著者のような人々に、いくら姑息と揶揄されようが、いずれやらなければならない議論は出来るときにやっておくべきだ。そして、選挙で勝った政権なのだから、通そうとしている法案は通すべきだ。
正否や否定は次の選挙で国民が示せばいい。ただし、そのためには他の政党が明確な将来性のあるビジョン(マニフェスト)を示さねばならない。
自民党以外の政党は、現時点で、先の選挙を見据えて、そのようなマニフェストを準備しておかねばならないのに、そのような素振りを少しも見せようとしない。
そんなんで反対派を取り込めるのか??本気で止めたいと思うのであれば、明確なビジョンを示す努力をすればいい。話はそれからだ。
2015年
7月
27日
月
7月27日(月)
猛暑の中、農作業ブログ更新再開です!
根深の畑作りをしました。
畝幅100cm、掘りの深さは30cm~40cm程度。
最初のうちは、ずっと深堀りしながら畝作りしてたんですが、一本やるのに1時間くらいかかってしまってました。これではイカンとやり方を模索し、薄く削りながら溝を掘って往復を繰り返して一本の畝を作るようにすると、20分くらいで一本作れるようになりました!!
やり方を考えてみるものですね。
明日は、人参を撒く予定です。
2015年
7月
25日
土
コントロール出来るリスク、出来ないリスク
http://www.daichi-m.co.jp/blog/ebichan/2008/07/post-146.html
ブログ著者が、農薬のリスクについて、
「「ちゃんと規則どおりに使えば、人体に影響を及ぼすほどの残留は残らない」
という意味であって、それは同時に 「リスクが存在する」 ということも表現していることに
気がついていないように思える。」
と書いている点について、、、
言葉を返すようだが、それはブログ著者に対しても同じ事が言えると思う。
なぜなら、このような実験結果が出たということは、「無農薬野菜にもリスクがある」ということだからだ。
「ちゃんと規則通りに」農薬を使って育てられた野菜は言うまでもなく安全だ。このブログ著者も言っているように。
ただし、だ。
有機栽培、無農薬栽培に「規則」というものは存在しない。
農薬の方が、対して無農薬の方が、どちらが安全であるか、という論争は、両者の主張とも殆ど人体に対する影響は無いレベルであるから、あまり大々的に書くものではないが、明らかに言えることは、「有機栽培、無農薬栽培を否定する言い方をしている方々は偏見を持っている」と語るこのブログ著者の方こそ、農薬を使用した栽培について偏見を持っているということである。
アレルゲンの有無、多少によって無農薬栽培や有機栽培の方が絶対的に危ないという言い方は、確かにおかしい。農薬のリスクに対する視点が無いからだ。
しかし、リスクマネジメントの観点から見れば、農薬を使った慣行栽培や低農薬栽培と、無農薬・有機栽培は決定的に異なる。
先見されるリスクを「コントロール出来るか否か」という点において。
農薬を使用する慣行栽培や低農薬栽培は、確実にリスクを「コントロール」する事が出来る。
逆は言わずもがな。
この違いをどう捉えるかが問題だ。
「太古から獲得してきた植物の力に潜まれているリスクと、
化学物質の野放図な環境への放出という問題を比較して云々というのは、
相当に文化や生きる力を貧しくしていないか、と思うのである。
私は、農薬への依存から脱しようと努力する人のものを食べることの方が、
未来の安心を築く選択である、と信じる立場である。」
とブログ著者は述べるが、
逆に言えば、それは著者のいう「太古から獲得してきた植物の力に潜まれているリスク」を軽視した発言である。
太古から獲得してきた植物の力の方が人や環境にとって安全であるという、何の根拠もない「盲信」は、フェアな視点が欠落しており、危険思想以外の何者でもない。
そして、同時に、「化学物質の野放図な環境への放出という問題」という捉え方は、非常に偏見に満ちているものである。
農薬は決して野放図に放出されているものではない。
製品化には何年もかけて、安全性や環境影響への検証実験が行われ、その実験に対する検証実験が行われ、安全性が確認されて万一誤った使用法がされた場合の対処方法まで確立してから、やっと農家の手に渡る。
農薬の安全性よりか、解明されていない謎の多い、人間のコントロール外にあって説明が充分に出来ない「太古から獲得してきた植物の力に潜まれているリスク」のほうが、よっぽどリスク大なのだ。
もちろん、ブログ著者の言うとおり、
「大地を守る会の生産者も農薬を使うことがあるが、私たちは、
よく考えて農薬を選択し、使用は最小限に抑えよう、別な対策や技術を取り入れられないか、
というスタンスで話をする。
農薬を推奨する方々も、農家に 「これは安全だから」 と安易に勧めるのではなくて、
「これは危ないものだから、説明書きにある通りに使わないといけないし、
ちゃんと鍵をかけて保管するように」 と語ってほしい。
そういった指導が必要な 『薬』 なのだから。」
という点には賛同するが、
そもそも農薬に対して強い偏見を持っていること、そして無農薬、
有機栽培に伴うリスクを軽視した発言をしている点において、私はこのブログ著者に共感は出来ない。
2015年
7月
23日
木
au VoLTEのスマホ「TORQUE G02」の「LTEフラット」と「LTE net」を解除して、寝かせ回線化した話
※注意※
以下の行為はすべて、やろうとする方の自己責任で行ってください。私は一切の責任を負いません。
2015年のau夏スマホは、3G通信を排したVoLTE対応機種ばかりが軒を連ねました。
かくいう私も例にもれず、その中のタフネススマホ、『TORQUE G02』を購入。
決め手は電池交換ができること。
前機種のG01も持っていましたが、電池交換ができず、仕事中に電池が切れてヤキモキすることが多々あり、割賦支払が残っている状況でしたが、そのようなイライラが払しょくされるということで即購入。
そうなると、やはり気になるのは通信料。
前機種の割賦に加え、今機種の割賦も支払うことになるので、できる限り通信料は抑えたい。
LTEフラットを契約しているだけで、毎月6500円もの通信料を支払うのはとてもじゃないけど現状ではきつい。。。
その分割賦の支払いに回せれば楽になるし、毎月割はなくなるけど、割賦支払金額と合わせても、MVNOでデータ通信をすれば、そのままなら毎月14000円ほどになるであろう通信料が、通話料次第では、おそらく1万円以下に抑えられる。LTEnetとLTEフラットを解約するにあたり、毎月割が使えなくなるが、それでも4000円程安くなるのだから、寝かせ回線化を選ばない手はない。
(G01の割賦金額2750円+G02の割賦金額2750円+LTEプラン(V)基本使用料980円+毎月の通話料(約)1040円+ユニバーサルサービス料金2円+mineo5GBシンプルプラン1750円=9272円)
今までも3G回線スマホの寝かせ回線化は沢山例があったのだけど、今回はVoLTE対応機種というのが懸念材料。
なぜなら、VoLTE対応機種は、寝かせ回線化では解約必須な「LTEnet」の契約が不可欠だから。
VoLTEがLTEnetの契約必須なのは、発信者側のスマホ画面を受信者側の画面にシンクしたり、位置情報を送りあったり、カメラ画像を共有したり、通話と同時にそれらのことを行うことのできるシンク機能がその特徴の一つだからです。そして、シンク機能はパケット通信を使用するので、LTEnetの契約が必須なのです。
結論から言えば、VoLTEでも音声通話のみに限って使うのであればパケット通信料はかからないので、LTEnetの解約は無事出来ました。
なので、LTEnetを解約したらVoLTEが使えなくなるんじゃないかという懸念を持っている人は安心してください。普通に通話できます。
ただし、VoLTE対応機種で契約している場合、auお客様サポート上でのオプション契約変更画面にはLTEnetの選択肢が出てこないので、サポートに電話して解約する必要があります。
LTEnetを解約する前に、お客様サポートでLTEフラットも従量制に変更しましょう。
ただし、これらの作業は必ず月末2日前までに行うことです。
この期間に変更作業を行ってしまうと、変更内容が翌月までに反映されない場合があります。
これらの作業を行った後、バックグラウンドでのデータ通信を制限するため、スマホ自体のモバイルデータ通信設定をOFFにします。
Android5.0におけるモバイルデータ通信OFFの設定ですが、設定画面の「データ通信料」の中の「モバイルデータ通信」から行います。
4.0では、(5.0と同じ場所からも可能でしたが)いろいろなブログで推奨されているのは、設定画面の「無線とネットワーク」の「その他」から、「モバイルネットワーク」をタップし、「データ通信」のチェックを外す、という方法ですので、5.0のデータ通信設定項目がどこにあるのか探すのに手間取ってしまいました。
これらの作業を行い、晴れてVoLTE通話が可能な寝かせ回線を作ることができました。
これを行うことのメリットは、通信料を抑えることができるということの他に、
・現在の電話番号でそのまま通話(発信・受信)できる
・安心パックプラスのオプションは残っているので、もしスマホが壊れても保証が効く
ということが挙げられます。
実質、この方法でVoLTEの寝かせ回線を作ることによるメリットが得られるのは、VoLTE対応MVNOが出てきてからになりますが。。。というのも、VoLTE対応機種のSIMカードは専用品なので、VoLTEに対応していない古い機種では使えないからです。
結果、最新機種が通話専用となり、古いスマホがデータ通信専用となる、本来求められる構図とは逆の結果となります。
これを解消するには、VoLTE対応のガラケーを別に購入して、寝かせ回線のSIMを挿入することが必要になります。
が、そのような物はauのガラホ、AQUOS K SHF32しかないのが現状です。
しばらくは、mineoのSIMを前機種のTORQUE G01に挿入して、そこからテザリングさせてG02を使うことになります(;'∀')
「それならmineoでデュアルプランに変更して3G通話も使えるようにすればいーじゃん」っていう幻聴も聴こえてきますが、なにより面倒なのは、たくさんいる知り合いや友人、取引先に、新しい電話番号に変更してもらう手間がかかる!!!!そんな迷惑をかけるくらいなら、新しいスマホを通話専用にしようとも、VoLTEの寝かせ回線化を選んだわけです。
MNP転出しちゃうと、故障したときの保証が受けられなくなるしね。
2015年
7月
18日
土
集団的自衛権がもし反対に「否認されたら」 ~日本に徴兵制が復活するかも!? ~
安倍君は、国際町という町に住んでいます。
国際町には、二人の大富豪がいました。中国君と、アメリカ君です。
アメリカ君は、ちょっと主張が強すぎて、皆から煙たがられるところがありますが、そのリーダーシップの強さで、国際町の多くの住人から信頼されていました。
対して、中国君はとってもわがままです。他人の持っているものがうらやましくて、うらやましくて、仕方がありません。勝手に友だちの物を奪って、自分の物にしてしまったり、他の住人からお金を巻き上げたりするので、周りの人たちは、とっても迷惑していました。でも、中国君を町から追い出すことはできません。町のスーパーや病院、工場の多くは、中国君の会社から商品の多くを仕入れているからです。
安倍君の家の隣には、ご近所さんたちが住んでいる、
「メゾン・東シナ海」がありました。
メゾン東シナ海の、ベトナム君やインドネシア君、台湾君たちと安倍君は、大の仲良し。そんな平和なご近所さんとの暮らしの日々に、突如暗雲が立ち込めました。
ある日、メゾン東シナ海に住んでいるみんなが、安倍君に深刻な顔でいいました。
「安倍君、さいきん中国君が、僕たちのアパートの土地をほしがっているみたいなんだ。僕たちのアパートは、病院にもスーパーにも、コンビニやガソリンスタンドも近くにあって立地条件がいいから、とってもほしがっているみたいなんだ。
最近、毎日のようにアパートにやってきては、「ひっこーし!ひっこーし!さっさとひっこーし!!!!」って喚いて、とっても迷惑してるんだよ。安倍君から何とか言ってもらえないかな。」
安倍君は、答えました。
「わかった、言うだけ言ってみるよ。」
その日のうちに、安倍君は中国君の門の前に立ちました。
だけど、中国君は、「自分と比べてお金持ちじゃない安倍君の話など、聞くつもりはない!」と、門前払いしてしまいました。
それから数日たちました。
ベトナム君やインドネシア君、台湾君たちの住む、安部君の家のお隣、メゾン東シナ海が、火事になってしまいました。どうやら、犯人は中国君のようです。
いくら喚いても場所を譲ろうとしない中国君は、強硬手段に出たのです。
アパートの裏からこそこそ逃げていく中国君を、安倍君は見てしまいました。
中国君は、安倍君に見られてしまったことに気づき、逃げ際にこういいました。
「都合がいいな、君の家の土地も気になってたんだ。
もしこれで君の家が燃えちゃったら、僕が君の家の土地を買ってあげよう。その代り、安倍君に、僕が持ってる強力な消防車を貸してあげるよ」
中国君は、不敵な笑みを浮かべながら逃げていきました。
アパートの燃え方がひどく、安部くんの家にも火の粉が降り注いで今にも燃えそうです。
中国君を引き留めている余裕なんてありません。
それに、安倍君は中国君なんかに恩を売るつもりなんてさらさらありませんでした。
安部君は、消火器を使い、自分の家が火の粉で火事になりそうなのを防ごうとしました。
その時です。普段色々お世話になっている隣家の火事を消そうと、地元の消防隊に所属している、イギリス君やフランス君、アメリカ君がポンプ車を使って助けようと集まってきました。
安部君の家と、炎に包まれている隣のアパートの間には、ちいさな納屋があります。その中に、アメリカ君から借りている強力な可搬ポンプもありましたが、
「隣のアパートの燃え方が酷いから、貸した可搬ポンプを一度今だけ返してくれ」
とアメリカ君に頼まれた安部君は、断ることができませんでした。
消防隊の皆は、お隣の安倍君にも消火活動をサポートしてほしいと言ってきました。
しかし、安倍君は火傷はしたくありません。サポートを断ってしまった安部君は、隣のアパートが燃えていくのを前に、ただただ呆然としているだけでした。
返した可搬ポンプの代わりにと、アメリカ君は安部君に新しく消火器を貸してくれましたが、安部君の家の業火を消すには、ほどほど力の足りない代物です。
前々から安部君は、「自分にとって、可搬ポンプはオーバースペックだ」と感じていたので、安倍君はアメリカ君に常々「小さいほうに借り換えたい」と言っていましたが、それも今となっては、時すでに遅し。安倍君は後悔で胸が張り裂けそうです。
結局納屋は家より早く燃えつきてしまいました。
納屋の火は安部君の家に燃え移り、大きな炎を上げました。
もしも、納屋の火だけでも、アメリカ君から借りていた強力な可搬ポンプで消せていれば、安部君の家が燃えてしまうことは避けられたかも知れません。
しかし、そんな後悔を余所に、安部君の家は炎に包まれていきました。
結局、安部君の持っていた小さな消火器だけでは、業火を防ぐことが出来ず、安部君の家は全焼してしまいました。
アメリカ君も、フランス君も、イギリス君も、遂にはお隣さんで仲良くしていたはずのベトナム君やインドネシア君や台湾君でさえも、「おとなりさんなのに消火活動のサポートすらしてくれなかった安倍君なんて、もう信用できないから放っておこう。安部君の家が燃えても、他の家は安部君の家が持ってる小さな消火器よりも立派なポンプ車があるから大丈夫さ。安部君の家が無くなったところで、僕らには何の不利益も無いんだから。」と、
安部君の家が業火に包まれて崩れ落ちそうなのを尻目に、
帰って行ってしまいました。
困った安部君は、必死で一人で火を消そうとします。
もう火傷なんか気にしている場合ではありません。
安倍君は、沢山やけどを負いながらも、必死で消火活動をしました。
すると、通りがかったスイス君とドイツ君、そして韓国君が、
「君も消防車を作れば良いじゃないか」と言いました。
「僕らはそれぞれ、家に大きなガレージを持ってる。そこでポンプ車を一から組み立てたんだ。部品を集めて、お金をためてね。君もそうすればよかったのに。」
ドイツ君は言いました。
「部品を集めるのは大変さ。お金もかかる。だから、僕たちは、部品を自分たちで作った。そのためのロボットも設計した。ロボットができれば、あとは自動で部品を作ってくれる。あとはその部品を売れば、お金も入ってくるってわけさ。」
スイス君は言いました。
「でもドイツ君、君はそうやって作った立派なガレージを、今は使ってないんじゃなかったっけ。」
ドイツ君は答えました。
「そうそう、ロボットが急に動かなくなっちゃったんだよ。で、部品の生産ラインもとまっちゃってさ。
まあ保険をかけておいたから保険金は入ったし、しばらく動かさなくてもいいかな。他にも仕事はしてるから、生活には困らないし。
また必要になってきたら、ロボットを治して動かせばいいと思ってるよ。
訓練が面倒だから消防隊はやめちゃったけど、まだ運営資金の提供はしてるんだ。僕の家が火事になった時に助けてもらえないと困るからね。
でも、辞めた時は消防隊の皆に大反対されたよ。
だから、一応名前だけは残してあるんだ。いずれ、どうしようもない時が来たら、消防隊にも復帰するつもりさ。」
スイス君は言いました。
「そうかぁ、ドイツ君は頭がいいし、手先が器用だから、自分で何でもできるもんね。僕なんかまだまだだよ。部品を作ってお金を儲けないと、暮らしていけないんだからさ。」
そこで、韓国君が口を挟みました。
「まぁ僕は、安倍君の家がどうなろうと知ったことじゃないけどね。自業自得さ、隣の火事を見て見ぬふりしたんだから。
それに、僕はロボットが止まっても治すよ、もし収入が無くなった時が不安だからね。儲けられるものは儲けておかないと損だよ。」
その言葉を聞いて、安部君は、考えを変えました。
「そうだ、今度はもっと立派で耐火性や耐震性の高い家を建てればいい。
そうしたら、ガレージも建てて、ロボットも入れて、部品を作って、お金を稼いで、何かあったときのためにポンプ車も備えておこう。
そして、今度こそ、他の皆に何かあったら助けに出ていけるように、消防隊にも入ろう。それが地元の皆との信頼関係を立て直す、唯一の方法だ。」
ここから、安倍君の復活の猛進撃が始まりますが、それはまた別のお話。
~解説~
ポンプ車と可搬ポンプ(消防団が装備している手で搬出するポンプ式消火装備。一般のポンプ車とほぼ同じ能力の放水能力がある装備)とは軍隊のことです。
自国の軍隊を、友好国の有事を収めることに使う。それによって、助けてあげた国から感謝され、より深い信頼関係と協助関係を作り、ひいては自国が有事の際に友好国に守ってもらうことに繋げる(またはその可能性を高める)。これが集団的自衛権であり、国際平和主義です。
対して、この話の中で、安部君自身が消火に使った消火器は自衛隊であり、その消火行動は自分の家に対してのみのものでした。安倍君は、やけどするのが嫌だからと、サポートの要請も断っていますね。
「自衛隊は自国を守る自衛活動のみにその力を行使するものとし、その他一切の活動においては、その力を行使しない。」
これが憲法9条の個別的自衛権であり、一国平和主義です。
可搬ポンプは、沖縄をメインに日本に駐留しているアメリカ軍のことです。当たり前のことですが、アメリカ軍は日本の物ではありませんから、日本が自由に使えるわけではありません。アメリカから出動要請があれば、近隣に駐在しているアメリカ軍が、その命令に従って武力行使を行います。
メゾン東シナ海は、もちろん南沙諸島の国々のことを指します。そして、南沙諸島の海域は、中国による侵略活動が進んでおり、南沙諸島の国々はそれに対して警戒を強めています。
物語の中で、中国君が放火した後の去り際に、捨て台詞を残しています。
つまり、南沙諸島における中国の侵略活動は、そのまま日本にも悪影響を及ぼす懸念があるということです。
これを傍観するということは、一時的に蚊帳の外には逃れていられるかもしれませんが、日本に飛び火するのは時間の問題です。尖閣諸島沖での中国軍の活動が活発化しているのが、何よりの証拠です。傍観していることが、日本にとっていい影響があるとはとても思えません。
物語の中で、安倍君はメゾン東シナ海の皆に頼まれて中国君に進言しようとしますが、門前払いされます。
今まで、日本は中国に対して何度も何度も対話の席を設け、または設けようとし、そのたびに平行線をたどってきました。
中国は、日本の説得なんて聞く気がないのです。
ですから、逆に集団的自衛権を行使して南沙諸島での中国の横暴な行為に反対を表明するということは、そのまま日本の自衛行為となるのです。
物語の中で、スイス君やドイツ君、韓国君が、「君もポンプ車を作ればいいじゃないか」と言ったのが、日本が軍を持つ可能性を示唆したものであり、そして、そんなスイス君達が自分でポンプ車を作るための部品やお金を調達したということ、それこそが徴兵制であり、そしてそれに付随する増税です。
ポンプ車を作るための部品は兵隊や国民のことであり、それを売ってお金を稼ぐということが増税です。部品を作るためのロボットは、徴兵制を定めた法律です。
スイスは永世中立国として名高いですが、その実、徴兵制によって兵力を維持している点に反対派の誰も目を向けていませんし、ドイツも2014年まで徴兵制を行っていました。ドイツについては今は廃止されていますが、徴兵制の復活に含みを持たせていますし、良心的兵役拒否についての議論が今なお進まないままです。
韓国に至っては、兵役を拒否すること自体が全く認められていない事実があります。国民から政府に対して「良心的兵役拒否を認めろ」という声が挙がっているにも関わらず、韓国政府は一切の良心的兵役拒否を否定しています。
憂慮すべきは、スイス軍もドイツ軍も、あくまでその軍力は国防に重きを置くものであると明言していることです。
しかもドイツにおいては、ニュークリアシェアリングの一員であり、核の傘を持っている国でもあります。
最近、映画監督のオリバーカーンさんが、日本に対して、アメリカの求めている集団的自衛権など破棄して、ドイツのようになれ、これではアメリカの言いなりだと発言したことが一部の人たちの間で話題になっているようですが、ドイツのようになるということは日本が軍国化し、平和維持のためという名目で核武装するということなので、とても容認できることではありません。
それに、何よりも、ドイツは集団的自衛権を認めている国ですから、オリバーカーンさんの発言は矛盾しています。そして、もっと見すえなければならない事実もあります。ドイツは集団的自衛権を認めていながらも、それを行使することを拒んだ経緯を持つ国なのです。
お話の中で、ドイツ君は「消防隊はやめたけど、資金援助はしてるんだ」と言っています。
イラク戦争において、ドイツは集団的自衛権を行使することを否認し、金銭的支援に徹するとして、集団的自衛権を行使してイラク戦争に参加した他の国から大批判を浴びました。しかし、それ以前の紛争では、ドイツは集団的自衛権を行使し、国連軍として戦地に赴き、紛争を収める作戦に参加して、実際に多大な功績を挙げているのです。
この歴史を見ても明らかなことは、集団的自衛権を行使するかどうかは、有事の際、行使前に議論することが必要であり、そこで行使するかどうかを選ぶことができるという余裕があるということです。集団的自衛権は、権利であって義務ではないからです。
物語の中で、安倍君はお隣のアパートの火事の消火活動に参加することを、「やけどをしたくないから」と拒んでいます。しかし、結局、安倍君は、数々のやけどを負いながらも、一人で消火活動をすることになるのです。しかし、その努力もむなしく、安倍君の家は全焼してしまいます。
お判りでしょうか。
自国の都合で一時は被害を避けることができても、最終的にはその倍以上の被害をこうむることになるということが。
また、国対国だけではなく、テロ組織に対抗できるかどうかも重要だという人もいますが、この集団的自衛権の行使を「認める」ということは、テロ行為に対抗している国際諸国を補助する、叉は補助できるんだという、日本の「テロには屈しないぞ」という意志を示すものでもあります。
確かに、こういう意志を示すことは、却ってテロ組織を逆撫でする事につながりかねませんが、逆に、こういう意志を表明しておかないと、国際的な対テロ行動に関しても、「日本には大して期待できない」というイメージを与えてしまいます。
そもそも、テロ組織だって、自分達に対して国際諸国が集団的自衛権を行使して国連軍として対抗してくるだろうことは分かっているはずです。世界を相手にテロ行為をするということは、そういうことですからね。
ですから、日本の今回の集団的自衛権の行使容認の表明は、世界的に見て至極当たり前のことであり、そこまで「相手を逆撫でしないだろうか」と気をもむことではないと思います。
そもそも今までの自衛隊はPKOに限って海外派遣をされていたわけですが、そういう国際平和維持活動は、対テロ行動をしている連合多国籍軍にとっては、悪い言い方ではありますが「どうでもよかった」のです。だから、もしPKOで自衛隊に殉職者が出てしまっても、「遺憾である」というコメントしかよこさないでしょう。
(しかし、アメリカにとっては、安保条約があるので、日本の自衛隊から死者が出たというのはISに対する攻撃を加速する格好の言い訳になります。実際、日本人人質殺害事件があってから、アメリカの攻撃は強くなっています。しかし、IS側もそれに対抗して攻撃を強めています。戦いは戦いしか生まないのは事実ですが、日本が武力行使をしない後方支援に徹することで、「テロには屈しない、テロは許されることではないし、日本としては武力を行使せず平和的に解決したいんだ!」という国際平和への強い意志を示すことに繋がります。)
実際、行使容認をする前の時点で、ISによって日本人から犠牲者が出ているわけですし、ISにとってみれば、集団的自衛権を行使している他国であれ、そうではなかった日本であれ、無差別に殺戮を繰り返しているのです。ISが「集団的自衛権を行使容認したから日本人を標的にする」というのは、もしかしたら人質をとる言い訳に使うかもしれませんが、そんなに深く考えているわけではありません。
もしこういう言い訳をISが使うようなことがあっても、「安部政権が集団的自衛権を行使容認したからだ!」なんていう批判はそもそも的外れです。
日本はこれをふまえて、たとえISがそのような言い訳を使おうとも、テロリストの矛盾した言葉に惑わされることなく、確固たる意志で対抗しなくてはなりません。
今回、集団的自衛権の行使を容認するということは、日本が多国籍軍の友軍の一員となるということです。これによって、確かに自衛隊の海外活動における危険度はあがります。ですが、友軍であるということは、友軍に守ってもらえるということでもあります。
日本は先制攻撃をしない国ですから、もし集団的自衛権を行使してほしいという要請があったとき、日本は「当たり前だけど、日本は先制攻撃をしない国際平和主義国ですから、後方支援をする自衛隊を友軍として護衛してくれますよね。そして、後方支援に行く条件として、別にPKO活動をしている自衛隊にも護衛をつけていただきたい。そうできないのであれば、自衛隊の安全は担保されないので、日本は後方支援には参加できない。後方支援をする意欲は多分にあるが、日本を守るという意志を多国籍軍にも示してほしい」という外交カードを使うことができます。
つまり、自衛隊の海外活動において、危険度以上に安全度も拡大される可能性があるということです。
総じて、集団的自衛権の行使を認め、このような形で積極的武力行使をせずに、日本として国際平和への強い意志を示し続けることは、世界的に「テロ行為や戦争は許さない」という声を強めることに繋がり、確実にテロ行動や戦争などの、「国際平和を揺るがす事態」への抑止力となるでしょう。
声が声を呼ぶ抑止力、それが安保法案によって実現する可能性もあるわけです。
中国を除く世界各国で、この集団的自衛権の行使容認が評価されていることこそが、安保法案の正当性を証明しています。
個別的自衛権に徹してしまうと、やがて日本の考え方は変わり、戦後の高度成長期がまたやって来るでしょう。戦前の日本と違うのは、日本が右傾化し、軍国化への道を進むのではないかという懸念があることです。
忘れないでください、戦時中の日本は国際社会から孤立していたことを。
個別的自衛権のみでは戦争に巻き込まれることはないのでしょうか。いや、国際社会の一員であり、様々な国から輸入を行い、何よりアメリカの基地があるのに、現時点で戦争があったときに、狙われない理由なんてどこにもないのです。
自衛隊というのは国を守るためにあるのです。「後方支援に行ってしまったら、自衛隊の人が狙われて亡くなるかもしれない。大問題だ!」なんていう人は、まずその大前提から見直すべきです。
集団的自衛権の行使容認は、もし後方で日本がねらわれた際に自衛したら武力行使にあたるのでしょうか?否、戦争に巻き込まれて今の個別的自衛権を行使した場合だって同じです。そんなことを言ったら、個別的自衛権自体が違憲になってしまいます。
まぁ確かに、今ここで急いで通す法案でもないかもしれません。
しかし、何かことが起こってしまったときに、今回のように110時間もかけ、更に理解をしようとしない国民の理解を取り付けるための最大限の努力をし、法案を通しているような余裕が、有事の際の日本にありますかね。
こういう議論は、出来るときにやっておいた方が良いと俺は思いますよ。
例え安倍さんがアメリカに対して集団的自衛権行使容認をすることを明言してしまったからこそ今回の採決に至ったとしても、です。
いずれ避けることのできない議論になることは確かなのですから。
2015年
6月
12日
金
うーん???
「有機農業は環境にも経済的にも良い(研究結果)」
http://m.huffpost.com/jp/entry/7558678?ncid=fcbklnkjphpmg0000000
記事中盤、「3割程度価格が高くても有機栽培の野菜を選ぶ消費者が多い」とあるが、本当にそうだろうか?
これは個人的な疑問だが、高くても価値があるもののほうが良いというのは、新興国や先進国の一部の中級以上の富裕層に限られるのではないだろうか。
もちろん需要はあるし(先進国に限るが)、価格が高くても買う人はいる。
有機栽培の野菜が増加すれば、今は高い有機栽培の野菜の価格も下がるだろうと書かれている。確かにそう思う。
しかし、だ。
市場における有機栽培野菜が増加するかどうかは、あくまでも「今以上に売れれば」という前提があっての話。売れなければ生産量を増やしても需給のバランスが崩れてしまう。
有機栽培の野菜が売れるということは、一般的にいわれるそれらの野菜の見た目のデメリットが受け入れられるということである。現実はどうだろうか。
現実に売れている、という話ならまだわかる。が、「買いたいという潜在的需要があるから売れるだろう」では、説得力に欠ける。
なぜなら、潜在的な需要と、実際に販売して売れるかどうかというのは、必ずしもイコールではないからだ。
新商品の販売直前のアンケート結果では良い回答が殆どなのに、実際売り始めてからは思ったほど売り上げが伸びないというのはよく聞く話で、それはアンケートを取った対象群の選別に偏りがあったり、頭で考えたよりも身を持って経験すると損得勘定が逆転したりだとか、そういう予測の困難な要素が原因である。
一体、「買おうとする」のはどのレベルの所得者層なのか。そして、実際に買っているのは、そういう人たちの中の何割なのか。「買おうとしたけど買わなかった」という人もいるはずだが、こういう人たちも「買おうとした」から統計に含まれているのだろうか。
「損益分岐点は高いし、収量も低い」という事実を、「三割高くても買おうとする人がいるから大丈夫」という予測で補うのは、ちょっと説得力に欠ける気がする。たとえ商品単価が高くても、損益分岐点を超えるほどの売上が無ければ意味がない。
まぁ、売り方やマーケティングは本論分の語るところではないし、農業者がやるべきことなのだが、、
あくまでも日本に限ってみればの話だが、「有機無農薬で、虫食いがなくて、出来るだけきれいな野菜を、可能な限り安く買いたい」という、矛盾していることを簡単に口にする消費者が殆どだ。
このことからも、単純に有機だから高くても売れるだろうという予測は短絡的であることが分かる。
残念ながら、農家がどれだけ苦労しているかなんて考える余地は、多くの一般の人の中には微塵も無いのだと感じることが多い。
そして、そういうのを気にする人に限って、全くと言っていいほど、農業の裏を知らない。
普段どれだけ見た目の悪い農産物が捨てられているのか、感覚として理解している人は、恐らく農家以外いないだろう。
一般的には、せいぜいスーパーのバックヤードで廃棄を見て、「結構無駄になってるなぁ」程度の感覚でしかない。
気にしているのは、GMO、モンサント、農薬、ミツバチといった、マスコミでも話題となりやすいインパクトのあるワードだけ。
それだけで、農業を語った気になっている。
知識の薄さに、正直、呆れる。
「自然な害虫駆除を促進し」という一文にも、非常に違和感を覚える。
害虫「駆除」は、どうやっても自然には起こり得ないのだ。あくまでも、弱肉強食に乗っ取り、益虫と呼ばれる虫が、自身が生きていくのに必要な量だけを食べるにすぎない。それは、生きていくために必要な範囲を越えることはないし、超えなければ「駆除」とは言えない。
農業というのは、特定の作物のみが生育する「自然界では考えられないような植生の場所を強制的に作る」という、悪い言い方をすれば環境破壊によって成り立つ職業である。
害虫は、増える一方で、決して益虫による捕食限界数を下回ることはない。なぜなら、害虫は農場に定着するが、益虫は定着しないからだ。益虫は、自身の食欲が満足すれば、多くがほかの場所に飛散してしまう。この問題は、既に生物農薬で表面化しており、研究者も頭を悩ませている。そして、その結果として、遺伝子操作で飛翔能力を無くしたテントウムシなどが生まれているが、そのような事実に目を向けている人が、果たして有機無農薬信者の中にいるのだろうか。
又、増えた害虫は周りの作物にも派生して増殖を繰り返す。そして、周囲の生態系バランスの破壊を促進する一助となる。
記事後半。長期的な環境への影響について、有機栽培は多くの研究によって、環境にいい影響があると示されているともかかれているが、結論付けが甘い。
問題は、有機栽培のデメリットまで含めて考察していないということだ。
有機栽培のデメリットは、収穫量や、作物品質、価格、農業機械の運用コスト面だけでなく、環境に対する悪影響にまで話が広がる。
どちらかといえば、有機栽培に批判的な立場の論理の方が科学的にしっかり裏付けもとれているし、多くの公的機関もそれに準ずる形の公式見解を発表している。
有機栽培の方が環境に優しいかという点については、反対する意見も強く、どちらともいえないのが事実だ。
もちろん、ニッチな需要に対して、中小規模の有機農家は増加しているし、公的機関も「中小規模の」有機農家が地球環境に良い影響を及ぼすとして支持している。が、あくまでも「中小規模の」であって、大規模農業が主体の海外で有機栽培が増え続けるか、という点には、疑問があるし、いずれ限界を向かえると思う。
そう考えると、中小規模栽培が主体の日本は有機栽培に向くのではないかとも思えるが、これまた、売れる基礎が出来なければ話にならず、まだまだ市場が未熟なのが現実だ。
2015年
6月
09日
火
最近増えてきている有機無農薬推しの飲食店に一言。
「農薬を使っていなければ良い」というような単純な問題ではなく、「農業における全ての問題や課題は、フェアで広い視点から捉えなくてはならない」。
有機無農薬栽培は、あくまで方法の一つにすぎず、メリットも、デメリットも多分にあります。
それを理解している生産者や飲食店は、自身の価値観や考え方は別としても、農薬を一方的に悪者扱いしないはずです。
飲食店は、客に自慢の料理を提供すると同時に、その料理に使われた農産物、ひいては、その料理を食べる人の農業全体に対するイメージを左右する場所でもあります。
料理をする人が、客に、「有機無農薬だから環境にも健康にも良くて、美味しいんですよ」と言った時点で、客に対して、「農薬を使った野菜は環境にも健康にも悪くて、味も劣るんだな」という、全く根拠のないイメージを擦り込むことになるのです。
そして、そのようなことが起きるのは、料理をする人がフェアで広い視点を持てていないからに他なりません。
そのように、消費者に対して、飲食店はマスコミと同レベル以上の食の情報提供の場所になっているんです。
だからこそ、農業と切っても切れない関係である飲食業の方々には、フェアで幅広い視点で農業を捉えて頂きたいと思うのです。
もちろん、その上で無農薬や有機栽培を推すのは、お店の経営戦略でもありますから、文句は言わないし、是非そうしてくださいとも言えるのですが、現時点でそのようなフェアな視点を持つお店が多いかというと、決してそういう訳ではありません。
農薬の使用不使用のみを根拠として、生産物や生産者を選ぶ行為は、単なる農家差別以外の何者でもありません。
2015年
6月
07日
日
今更ですが
お久しぶりです。
5月からパタッと更新を止めてしまってすみません(^^;)
消防の大会に向けての訓練が結構キツくて、なかなかブログを更新する体力も残らず、帰ってきてベッドに倒れる日々が続いておりまして。。。
申し訳ありませんが、6月いっぱいまで、blog更新はちょっとストップさせてください。
週3で3:00起きは思った以上にキツいわ、、、
また7月にお会いしましょう!
2015年
4月
15日
水
4月15日(水)
ネットで薬を調べまくる患者さんも、自分が何を知らないのかまでは知らない by熊代亨(精神科医)
http://m.huffpost.com/jp/entry/7059034?ncid=fcbklnkjphpmg00000001
本当にその通りだと思います。
検索キーワードが偏っていれば、偏った知識しか身につきません。
それを理解している人が、どのくらいいるのでしょう。
当農園の直売所にいらっしゃる方の中にも、「この人の知識偏ってるなぁ」という方が何人かいらっしゃいます。
さて、今日も二日続けて雨です。昨日より激しく降ってて、コノヤローな感じです。
今日は大人しくハウスの中で、自家用の苗を箱に取ったり手入れしたりしてます。。。
2015年
4月
15日
水
全ての農業者が有機無農薬栽培をするには
最近、お客様から、このような質問を頂きました。
「昔は全て、有機無農薬だったはずなのに、なぜ今は出来ないんですか?」
私は、このように答えました。
「スーパーに、何食わぬ顔で奇形や虫食いの野菜が並び、それが今現在スーパーで販売されている野菜と同等の価格で売られていて、消費者の方々がそれを全く気にせずに買われることがふつうの光景になったなら、可能です」
お客様は、「それは無理です」と答えられました。
私は、「ですよね。それが、有機無農薬が広まらない一番の理由ですし、当農園が、必要があれば農薬を使用するという前提で極低農薬栽培を選択している理由です。」と答えました。
昔(大正以前)は、流通が発達しておらず、地元でとれた野菜は地元で消費するのが普通でした。今のようにスーパーなど無く、農家と消費者が直接取り引きする機会も多かっただろうと思います。
全国に向けて生産販売する必要がないぶん、各生産者の営農規模も小さかったでしょう。
農業機械も発達してませんでしたし、広い農場を管理することはとても出来なかったはずです。
その分、野菜の株一つ一つに目が届きやすく、却って今よりも質の高い野菜が作れる割合がB品の数と比べて高かったのだと思われます。
質の高い野菜が作れれば、農家は少ない生産量でも生活できます。
なので、流通が発達し始める昭和中期以前は、有機無農薬栽培が主体でした。
しかし、現代のように、有機無農薬栽培を意識して行っている農家はいません。これは断言できます。
なぜなら、それが普通だったからです。
使う必要がなかった。理由はそれのみにつきます。
営利経営が成り立つのであれば、余計なコストをかけて使う必要などありません。
しかし、時代は代わり、流通と市場が発達、農作物は全国に向けて発送されるようになりました。
欲しい野菜がどこでも手に入る時代は、農家にとっては苦痛の時代となりました。
地元の消費が、地元に還元されなくなったのです。
農家と消費者の繋がりは当然薄れ、スーパーが台頭し、安売り合戦が始まりました。
当然、虫食いや形の悪いもの、色付きが良くないものなど販売価値はつきません。
味や見た目には、地域差も現れます。
消費者は、我先にと見た目のいいもの、味のいいものを少しでも安く手に入れようとします。
それまでのように、少量を作って出せば経営が成り立つ時代ではなくなりました。
自ずと農家は、経営を成り立たせるために、消費者に求められる、綺麗で形がよく味と品質の揃った野菜を大量に育てようとします。
大量に育てるには、広い農場が必要ですが、それまでのように一株一株に手間を裂いていては、人件費もかかるし、時間もかかるし、コストがかさんでしまって、とても一般の人が手を出すような価格で販売することは出来ません。
そこで、農薬を使用して人件費や耕作費のコストを低く抑える大規模栽培が主流となるのです。
世の中には同じような野菜が溢れ、消費は分散し、農家一件当たりの収入の差もどんどん広がっていきました。
現在の日本農業がこのような形になったのは、消費者の方々が選んできたことの結果なのです。
つまり、再度日本農業を変革させるためには、最初にいったように、形の悪いものを正規価格で買うのが普通に感じる用になるほどの、消費者の方々の大規模な意識改革が必要というわけです。
本来、形がいいもの、綺麗なものは、正規価格に上乗せでプレミアが付くべきです。それが、現在は卸価格底値で買いたたかれ、スーパーに高いマージンを付けられて販売されるのが普通になっています。
正規価格というのは、その農産物を作るのに必要になった最低限のコストギリギリの価格です。
見栄えの良いものを作らないとバイヤーは買わないですし、かといって高くても手は出しません。
良いものが底値になってしまうような現状では、農家は利益を得ることができません。
生活していくのがやっとです。
生活していくのがやっとの価格で、正規品が販売されているのです。
よく考えてみてください。もし、世の中のスーパーに、何食わぬ顔で奇形や虫食いの野菜が並び、それが正規の価格で売られていて、消費者の方々がそれを全く気にせずに買われることがふつうの光景になったなら、今より野菜の値段は下がります。
なぜなら、今まで綺麗なものだけにかけられていたコストが、B品に分散するからです。
各農家から一日に発生するB品の量は並大抵ではありません。
正規品と同じように手間がかかっているのに、その手間賃を価格に乗せられなかったB品。
それが全て正規価格で販売できるとなれば、コストが分散し、低価格ながら利益率を維持したまま販売することができます。
綺麗な野菜には正規品価格に上乗せでプレミアが付き、農家はさらなる利益を得ることができます。もはや綺麗な野菜は必需品ではなく、嗜好品の部類になります。
B品でも経営が成り立つなら、利益を求めずに小規模で営農を継続していくことだけを追求する農家も現れます。そうなれば、わざわざコストをかけて農薬など買う必要もなくなり、さらに野菜の価格は下がるでしょう。しかも、利益率は維持したまま。
さて、今の状況はどうでしょうか。
スーパーでは安売り合戦が続いています。
しかし、マスコミでは有機無農薬がもてはやされ、消費者はそのような野菜を求めます。
かと言って、その栽培方法では大量に発生してしまうB品は買ってもらえません。消費が集中するのは、ごく一部の綺麗な野菜のみです。それも、高くては買ってもらえません。
矛盾していると思いませんか??
農業は仕事です。ビジネスです。
発展していくためには、利益を上げ、利益を投資しなければなりません。
逆に言えば、投資できなければ、農業は衰退し、発展することもできなくなってしまいます。
少しでも安いものを買おうとするのは当たり前のことです。
「値下げをしろ」という言葉をかけられることは、この仕事をしているととても多いです。
そのたびに、生産者は、とても悲しい思いをします。
せっかく大変な思いをして育てて、それでも出てしまう奇形や虫食いの作物を、歯がゆい思いをして大量に破棄して、ほんの一部の綺麗な物だけを、ギリギリの価格設定で販売しているにも関わらず、苦労が認められていない、認めてくれないのだなぁと悲しい気持ちになるのです。
今の日本農業を形作っているのは、農家でも、農協でも、スーパーでもありません。
消費者である、あなた方です。
「値を下げろ」というのは簡単です。ですが、その言葉を発する前に、目の前にいる生産者のことを、少しでも考えていただければ幸いです。
2015年
4月
13日
月
更新遅くなってすみません
更新遅くなってすみません(;´・ω・)
イベント続きでバタバタしてました。。。
これまでの間に行った作業などを淡々と書いていきますので、お付き合いください(;´・ω・)
2015年
3月
10日
火
3月10日(火)
今日は風が強いですね!
昨日は雨だったし、今日は花粉が凄そうです。
昨日は県4Hクラブの発表会で、1日静岡にいました。
県内の各農業者クラブが、一年間の実績発表や、代表会員の意見発表を行いました。
素晴らしい発表をする方々とならび、私も東部代表として意見発表させていただき、数ある発表者の中から、僭越ながら優秀賞をいただくことが出来ました。
その後の飲み会でさんざん飲んで帰ってきたので、今日は朝が辛かったです(^-^;
2015年
3月
08日
日
3月5日(金)~3月7日(土)
5日から7日までは、ひたすら電熱線を敷いて栽培ベッドを準備し、苗を移植する鉢を作っていました。
一区切りベッドを支度するだけで、最低3時間はかかるのがネックです。
一時は本格的にハウスを建てることも考えましたが、苗の本数を考えるとそこまでの費用をかける必要も考えられず。。。
8日からは、トマト苗の接ぎ木を始めました。
トマトは割り継ぎという方法で、台木専用のトマトに継ぎます。
2015年
3月
02日
月
NOリサイクル
(J-WAVE Tokyo Morning Radioのコーナー Thinking The New Standardより)
本当に今はやたらと過剰包装だよなぁ。
スーパーで何でも買えるようになってから、何でもトレーに入って、買ってからもレジ袋に入って、家ではそれがゴミになる。
スーパーへ行く車のガソリンも、本当に必要な距離なのか。。。
ゴミを出さない生活を始める一歩は、
リサイクルからリユースへの転換。
ゴミを減らすための、大元からの購入活動。
なるべく再利用できそうな包装のものを選ぶ。
肉は肉屋さん(もしくは牧場)、野菜は八百屋さん(もしくは農家)から、スーパーなどを介さず直接買うことで、ゴミを減らしていく一歩となる。
日本は消却処理場の数が世界一。世界の消却処理場の3/2が、日本という狭い土地の中にあるという。
日本は世界有数のリサイクル国家でもあるが、
そもそもリサイクルというのはエコなのだろうか。
世界の再利用のスタンダードは、実はリサイクルではなく、リユースである。
ビンはスーパーで回収して、洗って再利用。
空き瓶を持ってきてくれた人にはチップを支払う。
世界では割とメジャーなリユースが、日本ではあまり浸透しないのは、日本人の「過剰な潔癖主義」が原因の一つではないかと思うことが多い。
人が口を付けたビンなど使いたくもない、ちょっとでも菌が入るような包装の仕方はだめ、何かしら人の手が直接触れるものに食品が触れる可能性はできる限り避けたい、野菜も虫食いがあればダメ、などなど、、、
作り直すのにも、相当のエネルギーが必要になる。
ただでさえ資源が少ないのに、リサイクルというエネルギー消費主体の再利用がメジャーなのは、矛盾していないだろうか。
作り直さない生活、包装されているものをなるべく選ばない生活から、ゴミを減らすことはできる。
2015年
2月
24日
火
2月24日(火)
2015年
2月
23日
月
2月19日(木)~2月23日(月)
今日は、ナスの苗を移植しています。
先日のトマトの苗の続きから、
ナス台木 トナシム 20列800本
ナス穂木 筑陽 19.7列790本
ピーマン台木 5列200本
を移植しました。
2015年
2月
18日
水
2月18日(水)
今日は一日中変な天気でしたね。
途中で雨が降ったり止んだりを繰り返し、雷が鳴ったかと思えばすぐに晴れたり。
お陰でハウスの開け閉めが忙しかったです。
ブログのカテゴリーは農業ですが、今日は農業関連の話というよりも土木関係の話ですね。
人生で初めてコンクリを練りました。
先日から親父につき合わされて作っていた竹置き場の小屋が大方完成し、基礎に鉄杭を打ってコンクリで固定するのですが、そのためのコンクリを練ってました。
2015年
2月
08日
日
2月8日(日)
2015年
2月
08日
日
2月7日(土)
昨日はいつもの朝市の後、沼津市サンウェルぬまづにて、ファーマーズマルシェに参加してきました。
当日はなんとか天気も保ち、寒い中でしたが実のあるイベントにすることができました。
お越しくださった方々、ありがとうございます!
次回開催は4/5(日)を予定しております。
沼津産ぐり茶とのコラボメニューが登場する予定です。
詳細は乞うご期待!!
2015年
2月
05日
木
2月5日(木)
昨日今日と、あまりブログネタにするほどの仕事をしておりません(仕事してないってわけじゃないですよ(笑))
昨日は丸一日切り干し芋の作業。煮た芋の皮をむいたり、ピアノ線で薄切りにして干したり。
今日は、午前中、夏野菜の植え付けに使う米糠を大袋で業者から貰ってきて、それを紙袋に小分けにしていく作業をしていました。
午後からはコンバインの掃除。
親父が私用でいなかったので、手探りではありますがなんとか途中までやりました。
でも数カ所不具合発覚。。。どうしましょ。
夜は参加している農業者団体、静岡ACTの定例会でした。
あ、今月7日(明後日!!)イベントやります!
場所はサンウェル沼津(沼津の夜間救急医療センターが入っているビル)で、一階のカフェ「シェ ワタナベ」のウッドテラスにて10:00~15:00で農産物販売イベントを行います。
お花のプレゼントや、この日限りの限定スイーツもあります!
是非皆様お誘い合わせてお越しください。
2015年
2月
01日
日
緑米deホワイトシチュー
今日は午前中に細かい仕事を終わらせ、午後お休みをもらって沼津のプラザヴェルデで行われたフリーマーケットを見てきました。
案外掘り出し物があるもので、
状態がとても良いgentenのゴートレザーの大容量ボストンバッグ(原価60000円以上)を1700円で、犬印製作所製の帆布のバッグを2000円でgetできました!
沢山の人が出品してて、俺が行ったのは終わる一時間前ほどだったので、早く行っていれば良いものももっとたくさんあったのかなぁ。
でも、大収穫です。
今日の夕飯は、緑米を使ったシチューを作りました。
ホワイトソースさえ作れれば、あとはほかのシチューと作り方は変わりません。
シチューのルーは使わずに作ってくださいね。
ホワイトソースの作り方はとても簡単!
豆乳と緑米ご飯を鍋に入れ、沸騰させないように温めながら、水分多めのお粥状にしていきます。
出来上がってきたら、バターを溶かし、ハンドブレンダーを突っ込んで粒を細かくしていきます。最後に塩コショウ(足りない人はブイヨンなど)で味付けをすれば、もうホワイトソースの出来上がり。
ブレンダーがない方は、先に豆乳とご飯をミキサーにかけてから温めてもいいですよ。
ホワイトソースが作れれば、色んな料理に応用できますね。
緑米は甘味と粘りが強いので、出来上がったホワイトソースも、甘さがあってとろみも強く、美味しいシチューになりました!
何より、小麦粉のホワイトシチューに比べて、緑米の栄養素を残さずとれるのが良いですね。小麦アレルギーも気にしなくていいし。
乳製品アレルギーが気になる方は、バターの変わりにアボカドが使えるそうですよ。試してみるといいかもしれません。
2015年
1月
24日
土
1月24日(土)
いやー、参りました。
昨日は夕方、今日は早朝に小火で出動。。。寝不足です。
この時期は火災が増えるので、皆様火の元にはお気をつけください。
家の周りに燃えやすいものを置いておくと、放火の標的にされやすいですよ。
2015年
1月
17日
土
1月17日(土)
本日は朝市です!
なので、午前中は直売所はお休みです。
ここ一週間は、ずっと堆肥の手入れをしています。
先日木屑を入れた後、籾殻を深さ20cmくらいで入れて、米糠と化成肥料15kgを混ぜて攪拌しました。米糠と化成肥料は、細菌の餌になります。
窒素分がないと発酵が進まないので。
2015年
1月
10日
土
1月8日(木)~1月10日(土)
1月8日(木)は、空豆とスナップエンドウの土寄せの続きをしました。
前日の雨で、地面がぬかるんでいて作業がやりづらかったです。
この日は一日中この作業でした。
2015年
1月
07日
水
1月7日(水)
今日は、昨日の大雨で畑にも田んぼにも入れない上、どうも昨夜から風邪気味で調子が悪く、寝込んでおりました。
今日は珍しく、作業という作業は小売店への配達ぐらいしかしておりません。。。。
我が家は現在、家族全員風邪をひいております(^-^;
それでも、昨日今日で風邪菌に総力戦を挑んだ結果、だいぶ今は楽になりました。
明日はなんとか仕事ができそうです。
インフルエンザも流行っているようですし、皆さんも体調管理にはお気をつけください。
2014年
12月
26日
金
12月26日(金)
ほんとにここ最近忙しくなって、blog更新している暇もほとんどありません(;´Д`)
ここ3日間の作業を、ダイジェスト的に纏めて書きます!(笑)
12月24日(水)
2014年
12月
23日
火
12月23日(火)
今日は、冬蒔き春採り大根の種を蒔きました。
昨日貼ったマルチの穴に3粒ずつ。
品種は「大師」。
収穫時の大きさは、長さ37cm、太さ直径7cmほどと、少し小ぶりな品種です。
隣の玉ねぎのマルチが、昨日の爆弾低気圧でまたすっ飛びました。。。貼っても貼ってもすっ飛ぶ(;´Д`)どうすればいいものか。。。また直さなければ( >_<)
2014年
12月
22日
月
12月18日(木)~12月22日(月)
4日前から、ビニールハウスの作業に追われてblog更新をする暇もありませんでした(^^;)
やっとビニールの貼り替えが終わったので、blog更新します!
12/18