全ての農業者が有機無農薬栽培をするには

最近、お客様から、このような質問を頂きました。

「昔は全て、有機無農薬だったはずなのに、なぜ今は出来ないんですか?」


私は、このように答えました。

「スーパーに、何食わぬ顔で奇形や虫食いの野菜が並び、それが今現在スーパーで販売されている野菜と同等の価格で売られていて、消費者の方々がそれを全く気にせずに買われることがふつうの光景になったなら、可能です」


お客様は、「それは無理です」と答えられました。


私は、「ですよね。それが、有機無農薬が広まらない一番の理由ですし、当農園が、必要があれば農薬を使用するという前提で極低農薬栽培を選択している理由です。」と答えました。


昔(大正以前)は、流通が発達しておらず、地元でとれた野菜は地元で消費するのが普通でした。今のようにスーパーなど無く、農家と消費者が直接取り引きする機会も多かっただろうと思います。

全国に向けて生産販売する必要がないぶん、各生産者の営農規模も小さかったでしょう。

農業機械も発達してませんでしたし、広い農場を管理することはとても出来なかったはずです。

その分、野菜の株一つ一つに目が届きやすく、却って今よりも質の高い野菜が作れる割合がB品の数と比べて高かったのだと思われます。

質の高い野菜が作れれば、農家は少ない生産量でも生活できます。

なので、流通が発達し始める昭和中期以前は、有機無農薬栽培が主体でした。

しかし、現代のように、有機無農薬栽培を意識して行っている農家はいません。これは断言できます。

なぜなら、それが普通だったからです。

使う必要がなかった。理由はそれのみにつきます。

営利経営が成り立つのであれば、余計なコストをかけて使う必要などありません。


しかし、時代は代わり、流通と市場が発達、農作物は全国に向けて発送されるようになりました。

欲しい野菜がどこでも手に入る時代は、農家にとっては苦痛の時代となりました。

地元の消費が、地元に還元されなくなったのです。

農家と消費者の繋がりは当然薄れ、スーパーが台頭し、安売り合戦が始まりました。

当然、虫食いや形の悪いもの、色付きが良くないものなど販売価値はつきません。

味や見た目には、地域差も現れます。

消費者は、我先にと見た目のいいもの、味のいいものを少しでも安く手に入れようとします。

それまでのように、少量を作って出せば経営が成り立つ時代ではなくなりました。

自ずと農家は、経営を成り立たせるために、消費者に求められる、綺麗で形がよく味と品質の揃った野菜を大量に育てようとします。

大量に育てるには、広い農場が必要ですが、それまでのように一株一株に手間を裂いていては、人件費もかかるし、時間もかかるし、コストがかさんでしまって、とても一般の人が手を出すような価格で販売することは出来ません。

そこで、農薬を使用して人件費や耕作費のコストを低く抑える大規模栽培が主流となるのです。

世の中には同じような野菜が溢れ、消費は分散し、農家一件当たりの収入の差もどんどん広がっていきました。


現在の日本農業がこのような形になったのは、消費者の方々が選んできたことの結果なのです。


つまり、再度日本農業を変革させるためには、最初にいったように、形の悪いものを正規価格で買うのが普通に感じる用になるほどの、消費者の方々の大規模な意識改革が必要というわけです。


本来、形がいいもの、綺麗なものは、正規価格に上乗せでプレミアが付くべきです。それが、現在は卸価格底値で買いたたかれ、スーパーに高いマージンを付けられて販売されるのが普通になっています。

正規価格というのは、その農産物を作るのに必要になった最低限のコストギリギリの価格です。

見栄えの良いものを作らないとバイヤーは買わないですし、かといって高くても手は出しません。

良いものが底値になってしまうような現状では、農家は利益を得ることができません。

生活していくのがやっとです。

生活していくのがやっとの価格で、正規品が販売されているのです。

よく考えてみてください。もし、世の中のスーパーに、何食わぬ顔で奇形や虫食いの野菜が並び、それが正規の価格で売られていて、消費者の方々がそれを全く気にせずに買われることがふつうの光景になったなら、今より野菜の値段は下がります。

なぜなら、今まで綺麗なものだけにかけられていたコストが、B品に分散するからです。

各農家から一日に発生するB品の量は並大抵ではありません。

正規品と同じように手間がかかっているのに、その手間賃を価格に乗せられなかったB品。

それが全て正規価格で販売できるとなれば、コストが分散し、低価格ながら利益率を維持したまま販売することができます。

綺麗な野菜には正規品価格に上乗せでプレミアが付き、農家はさらなる利益を得ることができます。もはや綺麗な野菜は必需品ではなく、嗜好品の部類になります。

B品でも経営が成り立つなら、利益を求めずに小規模で営農を継続していくことだけを追求する農家も現れます。そうなれば、わざわざコストをかけて農薬など買う必要もなくなり、さらに野菜の価格は下がるでしょう。しかも、利益率は維持したまま。


さて、今の状況はどうでしょうか。

スーパーでは安売り合戦が続いています。

しかし、マスコミでは有機無農薬がもてはやされ、消費者はそのような野菜を求めます。

かと言って、その栽培方法では大量に発生してしまうB品は買ってもらえません。消費が集中するのは、ごく一部の綺麗な野菜のみです。それも、高くては買ってもらえません。


矛盾していると思いませんか??


農業は仕事です。ビジネスです。

発展していくためには、利益を上げ、利益を投資しなければなりません。

逆に言えば、投資できなければ、農業は衰退し、発展することもできなくなってしまいます。


少しでも安いものを買おうとするのは当たり前のことです。


「値下げをしろ」という言葉をかけられることは、この仕事をしているととても多いです。


そのたびに、生産者は、とても悲しい思いをします。


せっかく大変な思いをして育てて、それでも出てしまう奇形や虫食いの作物を、歯がゆい思いをして大量に破棄して、ほんの一部の綺麗な物だけを、ギリギリの価格設定で販売しているにも関わらず、苦労が認められていない、認めてくれないのだなぁと悲しい気持ちになるのです。


今の日本農業を形作っているのは、農家でも、農協でも、スーパーでもありません。

消費者である、あなた方です。

「値を下げろ」というのは簡単です。ですが、その言葉を発する前に、目の前にいる生産者のことを、少しでも考えていただければ幸いです。