http://www.daichi-m.co.jp/blog/ebichan/2008/07/post-146.html
ブログ著者が、農薬のリスクについて、
「「ちゃんと規則どおりに使えば、人体に影響を及ぼすほどの残留は残らない」
という意味であって、それは同時に 「リスクが存在する」 ということも表現していることに
気がついていないように思える。」
と書いている点について、、、
言葉を返すようだが、それはブログ著者に対しても同じ事が言えると思う。
なぜなら、このような実験結果が出たということは、「無農薬野菜にもリスクがある」ということだからだ。
「ちゃんと規則通りに」農薬を使って育てられた野菜は言うまでもなく安全だ。このブログ著者も言っているように。
ただし、だ。
有機栽培、無農薬栽培に「規則」というものは存在しない。
農薬の方が、対して無農薬の方が、どちらが安全であるか、という論争は、両者の主張とも殆ど人体に対する影響は無いレベルであるから、あまり大々的に書くものではないが、明らかに言えることは、「有機栽培、無農薬栽培を否定する言い方をしている方々は偏見を持っている」と語るこのブログ著者の方こそ、農薬を使用した栽培について偏見を持っているということである。
アレルゲンの有無、多少によって無農薬栽培や有機栽培の方が絶対的に危ないという言い方は、確かにおかしい。農薬のリスクに対する視点が無いからだ。
しかし、リスクマネジメントの観点から見れば、農薬を使った慣行栽培や低農薬栽培と、無農薬・有機栽培は決定的に異なる。
先見されるリスクを「コントロール出来るか否か」という点において。
農薬を使用する慣行栽培や低農薬栽培は、確実にリスクを「コントロール」する事が出来る。
逆は言わずもがな。
この違いをどう捉えるかが問題だ。
「太古から獲得してきた植物の力に潜まれているリスクと、
化学物質の野放図な環境への放出という問題を比較して云々というのは、
相当に文化や生きる力を貧しくしていないか、と思うのである。
私は、農薬への依存から脱しようと努力する人のものを食べることの方が、
未来の安心を築く選択である、と信じる立場である。」
とブログ著者は述べるが、
逆に言えば、それは著者のいう「太古から獲得してきた植物の力に潜まれているリスク」を軽視した発言である。
太古から獲得してきた植物の力の方が人や環境にとって安全であるという、何の根拠もない「盲信」は、フェアな視点が欠落しており、危険思想以外の何者でもない。
そして、同時に、「化学物質の野放図な環境への放出という問題」という捉え方は、非常に偏見に満ちているものである。
農薬は決して野放図に放出されているものではない。
製品化には何年もかけて、安全性や環境影響への検証実験が行われ、その実験に対する検証実験が行われ、安全性が確認されて万一誤った使用法がされた場合の対処方法まで確立してから、やっと農家の手に渡る。
農薬の安全性よりか、解明されていない謎の多い、人間のコントロール外にあって説明が充分に出来ない「太古から獲得してきた植物の力に潜まれているリスク」のほうが、よっぽどリスク大なのだ。
もちろん、ブログ著者の言うとおり、
「大地を守る会の生産者も農薬を使うことがあるが、私たちは、
よく考えて農薬を選択し、使用は最小限に抑えよう、別な対策や技術を取り入れられないか、
というスタンスで話をする。
農薬を推奨する方々も、農家に 「これは安全だから」 と安易に勧めるのではなくて、
「これは危ないものだから、説明書きにある通りに使わないといけないし、
ちゃんと鍵をかけて保管するように」 と語ってほしい。
そういった指導が必要な 『薬』 なのだから。」
という点には賛同するが、
そもそも農薬に対して強い偏見を持っていること、そして無農薬、
有機栽培に伴うリスクを軽視した発言をしている点において、私はこのブログ著者に共感は出来ない。