戦争の作り方

アニメ化された戦争のつくりかたという絵本について、制作陣が以下のようなコメントを出しています。

「憲法で戦争を放棄すると決めた国、日本。大きな犠牲のもとに築かれたこの平和な70年という遺産を、次の世代にきちんと手渡し­できるかは、私たちひとりひとりが一歩を踏み出せるかどうかにゆだねられているのです­。」


ここに大きな誤解があります。歴史的に見ても、政治的に見ても、9条は日本自身が戦争をしないという意志を持って制定されたものではなく、GHQの意志によって半ば強制的に交戦権および自衛権を放棄させられたのであることは記録からも明白です。

天皇制を維持するため、苦汁を飲んでの決断であったということです。

その後、解釈変更を辿り、事実上の軍隊である自衛隊が生まれました。自衛のための戦争を放棄するべきではないという考えからです。


集団的自衛権が自衛の範囲を超えるというのは、他国の防衛に手を貸す可能性が生まれたということ自体ではそうかもしれません。しかし、ここまで国際同盟が複雑化し、国同士の結びつきが強まっている中、個別的自衛権のみで対処している日本の時代遅れ感は否めません。

平和というものを、一国単位で考えるような時代は、既に終わっているのです。


「わたしたちはそれぞれにいろんな立場があります。でも、どんなに政治的な議論をしても、それぞれの解釈を持ってしても、「戦争をしては­ならない」という想いだけは、誰もが疑いなくイエス!と言えるものであると思っていま­す。」


これについては、正しくは「侵略戦争をしてはならない」という言い方をすべきでしょう。「いかなる場合でも戦争をしてはならない」という考え方は、自衛隊を認めている以上は成り立たないのです。最悪日本が侵略されたときには、否が応でも応戦しなければならないのですから。


この映画は、まるで政府が戦争したがりのように描かれていますが、ストーリーとして余りに恣意的です。「先の大戦での敗戦国が、実は戦争したがりで、一時は戦争を放棄したものの、侵略戦争をするためにこのような道を辿った」という非現実的なシナリオを、今の日本に、見た目上手く重ねただけに過ぎません。


集団的自衛権に対する議論は、日本自身が戦争に持ち込もうとする流れではないという事だけは、どの人であっても必ず理解していなければなりません。


そもそもこんなに加熱するような問題ではないのに、ここまで集団的自衛権に対する議論が加熱したのは、ひとえに、護憲派、保守派の方々の多くが、「9条が成立するまでの過程」に対する大きな誤解をしているからに他なりません。

そして、「集団的自衛権を認める」と言うことは、イコール「政府が戦争をしたがっている」ということにはなり得ません。


国民が過剰に解釈して不安に陥って混乱し、不安イコール何が何でも反対というパニック状態になった結果が野党に利用され、あの日の国会に現れているのです。


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