この記事の中には矛盾が存在する。
自衛隊を軍事組織であると認識し、かつ安保法案が憲法違反であるという持論を展開しておきながら、自衛隊という軍事組織が存在すること自体が持つ憲法への違法性を無視している。
自身の考え方に都合のいいように書かれた記事であると見られてもおかしくはない。
軍事組織が存在すること自体、明確な憲法違反。
そのような、軍事組織を持ちながら、国単一での仮初めの平和を貪りながら、『従属だ戦争まっしぐらだ』と批判することは、現実逃避この上ない机上の空論。
そもそも、米国の従属国であるという批判をしても、今後30年、日本がそこから抜け出せる未来は存在しない。
自分の国だけ平和ならそれでいいという考え方は、もう古い。
仮初めの平和にどっぷり浸かった国の人間が、いくら議論で世界を説得しようとしても白い目をされるだけ。ちゃんと態度と実行力で示さなければ、世界平和というグリーンへのフェアウェイに乗ることは到底無理。
今の日本は、完全に虎の威をかる狐状態。
世界の均衡は軍事力で保たれている割が多分にあるということを、日本人は忘れがちだ。
戦争をするための軍事力だという誤解が多いが、間違ってはならないのは、刃は傷つけるためではなく、守るために持たねばならないということだ。
刃を持たないという選択肢は、国家間のスケールで考える中では存在しない。
世界は、国家というマフィアの集まりだ。
そんな奴らだらけの中に、何も持たない奴が入っていってモノを言えるかどうか。
現実的に考えて想像すればすぐわかる。世界はお花畑ではない。
SEALDsもそうだが、日本が世界に向けて発したアピールを、国内レベルで民主主義だ何だと騒いでる時点で的外れだ。この問題は、世界スケールの視点を持ってこそ、初めて同じ議論の机に座れるのだ。
使い方を誤らないよう、国民が監視する必要はあるが、刃を向けてきた相手に対して、仲間を守るために立ち向かえないようなら、それはもう国家ではない。
もう、一国に対して一国が刃を向けるような戦争が起こるような時代じゃない。
戦争も時代を経てその体裁を変え、ISに代表されるように、一組織又は一国対世界という様相が基本的だ。
戦争になったら真っ先に他国へ逃げようとかいう反安保論者もいるけれど、その他国は例外なく集団的自衛権を行使できるようになっているのだ。
このような矛盾、異常性を戦後70年間抱えてきた国であるという事実は、全国民が共通して背負わなければならないことである。